「選択」した結果

Barber, Margaret (バーバー・マーガレット)
Celebrate Life
March/April Issue

どうして中絶についての記述には、中絶を実際に経験した女性達よりも、そうでない人によって書かれたものの方が多いのだろう?中絶の経験を持った女性達のそんな感情や思いは、読むのに悲しすぎるから?彼女達にとって書くのは辛すぎるから?彼女達の手記が、読んだ人を怒らせ悲しませるから?しかし、子どもを殺す事によって生じる感情と思いについては、本人の口から説明されるべきであろう。中絶するか、別の道をとるかを考えている女性は、その将来に何が待ち受けているかを知るべきである。

私は四人姉妹の末っ子である。常に三人の姉を見て育ち、私は早熟だった。15歳の誕生日の直後、私は24歳の男性によって、「妊娠」したのに気が付いた。しかしその彼との関係は長く続かず、私は自分が妊娠した事を相手に知らせぬまま、別れた。

お腹の子どもの父親と別れて少ししてから、やがて私が結婚し離婚する事になる男性に出会った。彼は私の妊娠を知っていて、その子の面倒も見ると言ってくれた。私はこれまで願い続けてきたような、おとぎ話の夢の中にでもいる様に感じた。それでも結局私達は、子どもは生まない事にしたのである。その時私は妊娠三ヶ月半だった。

中絶クリニックでは、青い錠剤を飲まされた。それは私をリラックスさせる為の薬だった。それを飲むと私は吐いてしまった。次はカウンセリングだった。順番を待つ間、読む為のパンフレットを何冊か渡された。それから何時間かして、私は看護婦に呼ばれ、中に入った。

ついに「部屋」に入り、「台」に乗り、私はリラックスするようにと言われた。私は目を閉じ、これはただの検査だと思うように努めた。肉体的には、特に何も感じなかったように思う。でも音はすべて耳に入ってきた。波の音が、ある人には太陽の光、くつろぎ、穏やかさを連想させるのと同じように、中絶クリニックでの音は、死、吸引の機械、患者を落ち着かせる看護婦、非情な医師、そしていのちを自分の身体から吸い取らせている女性達を連想させる。

10分後すべてが終わった。私は別の部屋に連れていかれ、リクライニングチェアーに座らされ、クッキーを食べ、フルーツポンチを飲むように言われた。一時間後、帰ってもよいと許可が出た。受け付けの事務員は、私の「処置」の支払いを受け取ると、タクシーを呼ぼうかと言ってくれた。

私の感覚は、鈍くなってしまっていたと思う。実際起こった事に、はっきり反応していなかった。それが起こっている場面を見なかったという意味では、死を目撃した訳ではないから。そして肉体的にたいした痛みを感じなかったので、誰かが殺されたなんて思えなかった。ちょっと簡単に運びすぎたように感じた。すべてが終わり、私はすっきりした。これでもう責任もなく、赤ちゃんが泣き叫ぶ事もなく、そして何の罪もないいのちが失われたとは感じなかった。それはあまりにも簡単だった。

自分がした事がいかに重大だったかは、何年か経ってからでないと分からなかった。私の人生に影響を与えてくれた人々のほとんどは中絶に賛成だったので、私もそれは許される事だと思っていた。やがて感じる事になった怒りと情けなさをその時には分からず、私は又同じ事を二年後に繰り返した。それは私の結婚式の二週間前で、お腹の子どもの父親は夫となる人だった。その時の問題はお金だった。私達には子どもを育てる余裕がなかった。少なくともそれが、私の使った言い訳だったのである。婚約者に車で連れられ、前とは別のクリニックへ行った。私達が着くと、入り口の前には男の人が立っていて、中絶された赤ちゃんの写真のパネルを持っていた。その写真は血みどろで、私は恐ろしくなった。それでも私は中へ入って行ったのである。

この時は青い錠剤はもらわなかった。記入するようにと書類を渡され、他の15人程の若い女の子達と待つようにと言われた。それから少しして私の婚約者は、家で待つべく帰ってしまった。私は「終わった」ら、電話する事になっていた。

カウセリングでは、中絶以外に選ぶ道がある事を知っているかという質問があった。赤ちゃんを中絶しないで済むのを知っているか?赤ちゃんを里子に出せるのを知っているか?もちろん私はそういう選択肢を知っていた。ただそれにはどうすればよいのか知らなかったのである。そして誰もアドバイスをくれそうにもなかった。

「カウンセリング」の数時間後、私の名前が呼ばれた。再び私は「部屋」に入り「台」に乗った。目を閉じ、他の事を考えようとした。そばには「すべて大丈夫よ」と言い続ける看護婦がいた。これは大丈夫ではない、と悟った時、私は泣き始めた。私が自分の子どもを殺そうとしているというのに、どうして看護婦は大丈夫だなんて言えるのだろう?私は看護婦に「大丈夫ではないわ」と言ったのを覚えている。

この二度目の中絶で、私は何かを感じた。それは子宮への注射の痛みでも、先生の処置による辛さでもなかった。それは吸引機の音だった。先生が機械をスタートさせた途端、私はその場で死んだ気がした。ポンプのようなごぼごぼした音は、それまでに聞いたどんな音より恐ろしかった。最初の中絶の時には感じなかった感情が、その時は私の身体中を覆った。実際、自分の子宮からいのちが吸い出されている音を聞くというのは、言葉で言い表わせないものである。その時感じた苦しみと心の痛みは、私にはとうてい言い表せない。

そしてそれは終わった。又しても、あっという間に、それは終わった。しかしこの時は簡単にはいかなかった。責任から解放された自由感は持てなかった。重荷から解放されたと思えなかった。私は死んだ気分だった。

私は自分の取った「選択」によって七年間囚われている。誰にも想像できない小さな事で囚われている。中絶後初めて自分の家で掃除機を使った時、その音で私は座り込んでしまった。それはあまりにも吸引機の音と同じだったので、私には耐えられなかった。約二年間、部屋に掃除機をかける時はいつでも掃除を中断して泣いていた。

赤ちゃんの泣き声を聞くと、今でも私は辛い。自分の赤ちゃん達の泣き声が聞こえてくる。いのちを求めて泣いている。お母さんが医者に彼等のいのちを殺させたから泣いている。お母さんが医者に頼んだから泣いている。

中絶するまでは、暖かく、いい匂いの生まれたばかりの赤ちゃんを抱く気持ちは、純粋な愛情と満足感だった。けれど今私はそれを感じる事が出来ない。子どもを前にすると、すくんでしまう。誰かに「赤ちゃんを抱いてみる?」などと聞かれると震えてしまう。私は心から赤ちゃんを抱きたいし、触れてみたい、けれど自分が赤ちゃんを傷つけてしまいそうで、怖いのだ。もちろん私の恐れは馬鹿げている。私が本当に赤ちゃんを傷つけるなんて事はない。それとも傷つける?すでに私は傷つけているのだから、二人も。

意味のあるいのちは、すべてではなく一部だけで、どれがそうでどれがそうでないかは、私達に決める事が出来ると大勢の人が信じている。そう決める事が出来るのは私達ではないという事をその人達は理解していない。その決定権は神にある。人がその事実を受け入れない限り、神から与えられる慈悲や許しはありえない。自分が神と同等だと思う人、誰が生きて誰が死ねばいいか、自分が決められると思っている人は、神の許しを得るには傲慢すぎる。

私はかつて、私こそが「選択」する者であるべきだと思っていた。そして自分で二回「選択」して、私は破壊的な結果を得た。何年かの間私は、薬やアルコールで苦痛を軽くしようと空しい努力をした。そして私は、最後に探した場所で、安堵感を得た。それは教会だった。私はそれまで、結婚式かお葬式以外では、一度も教会に行った事はなかった。最初は自分のした事からして、私は受け入れてもらえないと思った。しかし彼等は力強く、私を迎え入れてくれたのである。自分の「選択」の結果が私を謙虚にしてくれた後でなければ、私は歩み入って安心感を得る事は出来なかった。その時、心の癒しが始まったのである。

私は初めに、何故中絶についての記述のほとんどが、中絶を実際に経験していない人によって書かれているのかと質問した。私はその答えを見つけたと思う。ええ、確かにそれを読むのは辛い。ええ、確かにそれを書くのは、とてもとても辛い。けれど、中絶というのは、読むのにも書くのにも、辛いものであるべきなのである。大勢の人々にとって、それは悲しいものなのである。悲しいからといって、それについて書いたり読んだりする事を止めさせてはいけない。悲しいのであれば、赤ちゃんを殺す事をやめるべきなのである。

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