ヴァルコ・ナンシー Valko, Nancy

Articles at Lifeissues:

鎮静治療を終末医療と考えるべきか?

無意識のうちに死ぬことで苦しみから逃れることは、末期状態の患者だけでなく、衰弱した高齢者、身体障害者、慢性疾患患者などにとっても大きな魅力である。私たちがどんなに努力しても、一部の患者、その家族、時には医療従事者までもが死期を早める権利を主張することがある。そのようなときも、自殺幇助や安楽死の場合と同じように、「拒否」の態度を取ることが唯一最良の答えであるべきだと思う。

スティ−ブン・ベ−カ−は見捨てられて死に至ったのでしょうか?

病人や身体の不自由な人を殺す方法はたくさんあります。食べ物と水を与えないというのも一つの方法です。スティ−ブン・ベ−カ−の脳の圧迫を和らげるため3月に行われた手術は、彼の消化力のある器官の管へチュ−ブを通して供給されている食物と水を取り除くことについて議論が巡りました。彼の生命を終了するという決断がなされる以前に、セントルイスの郊外にある聖ヨハネ慈悲医療センタ−の記録によると、この医学上の補助装置を使った食物と水の供給は、正確に言えば「心地よいケア」と呼ばれていました。現在はメディアのみならずその病院もそれを「生命の補助」と呼んでいます。

心停止後の臓器移植に関する倫理的含意

愛する人が亡くなり、その臓器を提供したことで悲しみにくれていた遺族がいかに慰められたか、「いのちの贈り物」を受け取り、新しい人生をはじめることになった人がいかに感謝をしているかといった話も次々に紹介されている。臓器移植によってできるだけ多くのいのちを救う、あるいは延命しようとする熱意は十分に理解できるものだが、こうした行為は倫理的に問題はないのだろうか?

全て実弾

実際的な問題は患者の選択だけだという言い訳は、家に帰って自分が他の人間を殺すのに手を貸した、あるいは私たちの誰かが合法的にその行為に関わっている間自分は何もできずに黙っているしかなかったという事実に直面しなければならない私たち医者や看護婦にとっては全く慰めにならないのです。そうなれば、私たちにとって、あるいは社会にとって、いつも実弾となるのです

ケイティの話

最高の医療の甲斐もなく、カレンは5ヶ月半で死にましたが、彼女のいのちが与えた影響は生き続けています。娘の葬式のミサで神父さんは、歩くことも話すこともしなかったこの子が、出会った人々の人生をどれほど変えたかを話してくださいました。

我が家に及んだ危機的妊娠

「ママ、妊娠しちゃった」。未婚でまだ十代の娘にこんな言葉をもらされたら、それはどんな親にとっても心臓がとまりそうなくらい恐ろしい瞬間となるでしょう。そして献身的なプロ・ライフであればあるほど、その衝撃は呆然とさせられるような驚き、羞恥心そして罪悪感に圧倒されるのです。「あの子は人の話を聞いていなかったのかしら?」「まさか私の娘に限ってこんなことがおこるはずがないのに!」「いったいどこで失敗したのかしら?」というのがよく見受けられる最初の反応です

減数手術:医療なのか、暴虐なのか?

多胎妊娠が増えてきたこの時代、この処置法は世間に受け入れられてきており、「都合の悪いいのちは処分しても良い」という考え方を推奨する一因となっている。4人以上の多胎妊娠をした女性のほとんどは、「減数手術」と呼ばれる処置を選んでいた。これは、胎内から一人か二人の赤ちゃんを排除することによって、残りの赤ちゃんに生き残るチャンスが増すことを期待する中絶手術である。

幹細胞に関する論争

胎児を実験の対象や道具として用いることは、人間の尊厳に対する犯罪である。胎児は、すでに生まれている子どもやその他の人間と同じように尊重される権利がある。」(ドノム・ヴィテp.31)[生命のはじまりに関する教書:人間の生命のはじまりに対する尊重と生殖過程の尊厳に関する現代のいくつかの疑問に答えて。

目覚め:昏睡患者が回復することもある

多くの昏睡患者を診ているロングアイランドの神経外科医のミハイ・ディマンセスク医師は、たとえ何週間も昏睡状態が続いても、脳に何らかの損傷を受けた人々が回復する可能性が実際にあるという認識が高まっていることに注目しています。たくさんの病院、とくに大学病院や地域の大病院は、治療の最初の段階において積極的に取り組んでいます。

誰も「五体満足でない」赤ん坊を養子にしたいとは思わない

最高の医療の甲斐もなく、カレンは5ヶ月半で死にましたが、彼女のいのちが与えた影響は生き続けています。娘の葬式のミサで神父さんは、歩くことも話すこともしなかったこの子が、出会った人々の人生をどれほど変えたかを話してくださいました。

マスコミに報道されなかった意図的な死の現実

倫理的司牧的考察」は当然のことして、患者の死をもたらすために栄養補給と水分補給を怠ることは拒否されなければならないということと、関わる全ての要素に注意深い配慮をしながらも前提は必要とする全ての患者に医学の助けを受けた栄養と水分の補給の提供に賛成するものでなければならないということを強調しています。この区別を曖昧にすることは、数限りない不正とそれに伴う多くの苦悩の種をもたらし、すでに病気と加齢による体の機能の低下にすでに苦しんでいる人々とその最愛の人々に大きな影響を与えるのです。

「性教育について」

「総合的」性教育というのは、本当は情報を与える教育うんぬんではなく、むしろ性の「専門家」達の苦肉の策で、十代の妊娠や性病について禁欲教育が行き詰まるよう彼等が望んだものなのです。しかし新しい性病や中絶、離婚、未婚の母、働かない父親、幼児虐待などの増加を見ても、又若者が人間関係を冷ややかに見るようになっていることを見ても、彼等のやり方が上手くいかない事はすでに分かっています。もし子ども達が、セックスは何の意味もないただの娯楽と同じような物だと考えているとしたら、その子ども達が大人になった時に、夫や妻をだまして浮気する誘惑にどうして勝つことが出来るでしょうか?又、子どもを育てるのに払わねばならない犠牲をどうして我慢できるでしょうか?

非常に危険な事態の進行

私たちは、身体障害者になるより死んだほうがましだとか、人の助けが必要な人々は自分にとっても他人にとっても重荷になるとかいう考え方が広まりつつあるのを阻止する必要があります。真の尊厳は私たち全員において固有のものであり、それは他人に依存していることによって失われるものではありません。つまり、私たちは何よりもまず、よきサマリア人の理想を取り戻す必要があるのです。

問題は平等に関すること

障害者の権利運動は、障害者用の駐車スペ−スや公共の建物が利用できること、障害者のための教育が受けられることを保証する点においては大いに成功をおさめています。障害者が、食物や水等の簡単なものを手に入れることが保証されないときが悲劇なのです。