シー・ジョン Shea, John B.

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ヒト胚性幹細胞の研究

この25年間、体外受精(IVF)クリニックでのIVFといういわゆる「有性生殖」方法により生成されたヒト胚に関する実験が行われてきた。こうした実験の目的は IVF技術の進歩であると公言されてきた。2004年、体細胞の核移植クローニングという「無性生殖」方法によるヒトの受精が初めて成功した(1)。こうした実験が行われていることは、世界が死の文化に益々脅かされていることの証である。

研究対象としてのヒト胚に関するカトリック教会の教え

ヒト胚の研究を容認する法律に反対する中絶反対派のカトリック指導者たちは、そうした反対運動を効果的にするには体外受精を全面的に非合法化する必要があることを見落としている。彼らはクローン研究や体外胚のクローン形成にのみ言及し、体外胚そのものの形成には反対していない。例えばさまざまなタイプの遺伝子工学やクローン技術を指定して禁止することを目的としたカナダのC-6法案も実際は同じだろう。なぜか?それはこの法案が体外でのヒト胚の形成を禁止しなかったからである。方法に関わらず、人工的なヒトの生産は禁止されなければならない。体外受精はあらゆる胚研究プロジェクトの第1段階である。胚はその後の研究に必要な生物学的物質を提供する。

緩和ケア「楽に死なせて」

緩和ケアとは死が間近に迫った人に提供される介護である。「苦痛緩和」には死に行く人の苦しみを軽減するという意味がある。そのやり方について、現在活発な議論が行われている「死に行く人」という言葉は、正しく解釈するならば、最大48時間以内に死亡すると合理的に予想できる人に当てはまる。ただし、「差し迫った」という単語の意味についても活発な議論が行われている。こうした議論に拍車をかけているのが、『生命の質』、ある種の生活に「生きる価値があるかどうか」、並びに「生きる価値がない」と思われる生命を維持することの「費用対効果」に対するさまざまな判断である。

臓器提供:困った真実

臓器を入手する方法自体が道徳的に正しければ、臓器提供は道徳的に正しい行為と言える。これが通用する状況が説明されている。重要な問題は、「脳死」と宣告された場合、あるいは「心臓死」である場合に、その人が本当に死亡しているかどうかである。その答えは、科学的証拠に照らし、心臓死または脳死の基準が、患者が本当に死亡しているかを確実に示すことが立証されていないことにある。Mauro Cozzoliは、胚の地位に関する記述において、「我々が人間を扱っているかどうかの不確実性は、理論、原理または教義上の立場(dubium uris)において、抽象的な疑念ではない。したがって、それはヒトの生命、ヒトが今ここに存在することに関する事実(dubium facti)についての疑念なのである。」と記している。真の意味において、「確実性と同じ義務が生じるのである。

教会の教示とヒトの生殖

教皇パウロVI世は、避妊という行為が、男性が女性を尊重する気持ちを失わせ、女性を自己の享楽の単なる手段としか見なさなくなると予見したことで、その洞察力がいかに優れていたかを歴史的に証明した。中絶や性感染症の爆発的な増加は、化学的避妊薬の合法化とその利用が拡大した結果、不特定の相手との性交が増えたことの証明である。また、教皇は、道徳的危機を無視した当局が、婚姻している男女にとって不正な手段によって社会問題を解決しようとする危険があることも警告している。その証拠は、現在、国連が支援している世界的な避妊と中絶の推進、中国政府による一人っ子政策に表れている

生命倫理とは?

倫理とは、善悪とは何か、そして道徳的義務と責任を扱う学問である。しかしながら、今「生命倫理」と呼ばれている学問が、従来の医療倫理およびカトリックの医療倫理とは全く異なるものであることを認識することが極めて重要である。2400年前にギリシャ人ヒポクラテスが創始した従来の医療倫理は、患者個人の生命と幸福を神聖なものとして、個々の患者に対する医師の義務を説いたものである。