生命 : 研究論文

いのちの始まりと連続体の確立

Kischer, C. Ward C. ウォード・キッシャー
いのちの始まりとその連続体の確立は、生物学者(発生学者)にとって理解が難しい事実ではない。残念ながら、これらの事実は、政治的な見解に都合がいいように再解釈、再定義されてきた。したがって、ヒト発生学は、社会法律的・政治的な声明として書き直される危険に面している。

『生命の尊厳倫理』と良心にもとづく産婦人科医療に迫る国際バイオエッシクスの脅威

Irving, Dianne アーヴィング・ダイアンヌ
最も緊急に検討すべき事項でありながら、まだ検討の粋に達していない医学上のジレンマのひとつが、ヒト胚に関する正確かつ根本的な科学的知識への足がかりである。ヒト胚については実験にもとづく科学的知識がこう証明している「常態において、ヒトは、受精した瞬間、つまり女性の卵管に単個細胞胎芽、受精体として誕生したときがその始まりである」と。実際、受精が、ヒトの、ヒト胚の、ヒト器官の、個々人の、そして「胎児」の始まりなのである。この正しい科学的知識なしには、ことの善悪を見極めることも、中絶やその関連の医療・科学上の問題について倫理的に正しい判断を下すことはできない。

人間はいつから人間になるのか?

Irving, Dianne アーヴィング・ダイアンヌ
人間の肉体的・物質的次元が性的生殖のどの時点で開始するかは、厳密に科学的問題であり、受精の際に形作られる人間の胎芽組織は人間そのものであると、科学者、哲学者で生化学研究者のアーヴィング博士が主張する。

法的、医学的、倫理的、社会的問題としてのクローニング

Irving, Dianne アーヴィング・ダイアンヌ
人間クローニングの直接産物は人間です。その反対の主張は科学的に間違っています。

高齢者の介護と死を迎えること

Novotny, Jerry (OMI) ノボトニー・ジェリー
必然的で不可逆的であることに加え、老化プロセスは利己的でもある。過ぎ去っていく時間に対する反応は、人それぞれ異なる。同じ雪片が2つとしてないように、木の葉、指紋、そして人間も同じ物は2つとして存在しない。我々は、その気性、能力、経験において根本的に異なっている。我々一人一人が個性を持ち、人生の変化や難問に対する反応は、特徴的でそれぞれ異なっているのである

先端医療の論じられ方

Komatsu, Yoshihiko コマツ・ヨシヒコ
まず、脳死・臓器移植についてです。御存知のように1968年8月8日に札幌医大で、和田寿郎氏率いるチームが、日本ではじめて心臓移植を行います。当初マスコミは大絶賛をしたのですが、移植後83日目にレシピエントとなった高校生が死亡してから評価は変わります。和田氏は殺人罪および過失致死罪で告発されますが、証拠不十分で不起訴処分になりました。しかし、きわめて黒に近い灰色というイメージがつきまとい、日本ではそれ以降、心臓移植や脳死・臓器移植一般について話すことすら憚られるような雰囲気が蔓延しました。ところが、1980年代初頭から空気が変わってきます。それまでは欧米でも技術的に脳死・臓器移植はうまくいかなかったのですが、1978年に比較的安全で効果的なシクロスポリンという免疫抑制剤が開発されたために、80年代初頭から、まずはアメリカ、そしてヨーロッパと、心臓移植や肝臓移植などの脳死・臓器移植が急増していきます。

教会の教示とヒトの生殖

Shea, John B. シー・ジョン
教皇パウロVI世は、避妊という行為が、男性が女性を尊重する気持ちを失わせ、女性を自己の享楽の単なる手段としか見なさなくなると予見したことで、その洞察力がいかに優れていたかを歴史的に証明した。中絶や性感染症の爆発的な増加は、化学的避妊薬の合法化とその利用が拡大した結果、不特定の相手との性交が増えたことの証明である。また、教皇は、道徳的危機を無視した当局が、婚姻している男女にとって不正な手段によって社会問題を解決しようとする危険があることも警告している。その証拠は、現在、国連が支援している世界的な避妊と中絶の推進、中国政府による一人っ子政策に表れている

臓器提供:困った真実

Shea, John B. シー・ジョン
臓器を入手する方法自体が道徳的に正しければ、臓器提供は道徳的に正しい行為と言える。これが通用する状況が説明されている。重要な問題は、「脳死」と宣告された場合、あるいは「心臓死」である場合に、その人が本当に死亡しているかどうかである。その答えは、科学的証拠に照らし、心臓死または脳死の基準が、患者が本当に死亡しているかを確実に示すことが立証されていないことにある。Mauro Cozzoliは、胚の地位に関する記述において、「我々が人間を扱っているかどうかの不確実性は、理論、原理または教義上の立場(dubium uris)において、抽象的な疑念ではない。したがって、それはヒトの生命、ヒトが今ここに存在することに関する事実(dubium facti)についての疑念なのである。」と記している。真の意味において、「確実性と同じ義務が生じるのである。

愛への挑戦

Smith, Janet スミス・ジャネット
回勅 -- フマネ・ヴィテ -- に向けられた敵意が余りにも大きいので、人工避妊が初代教会のころから論争点でなったと初めて聞いた人はあっけにとられるほどです。