死刑 : コラム

死刑制度の存廃をめぐって

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
来年5月に始まる裁判員制度を前に、わが国における死刑制度の存廃が改めて問われているが、 圧倒的多数の死刑存続論にかんがみ、仮釈放のない「終身刑」を創設する超党派の動きが加速しているという( 朝日新聞6月5日)。では、カトリック教会は死刑制度について何を指摘しているのだろうか。

衰えぬ人命軽視の風潮
どうすれば繰り返される殺人の悲劇を克服できるか

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
「なぜ人を殺すのか分からない」と、ある連続殺人事件を追う佐木隆三氏は毎日新聞で語っていた。殺人犯の心理が推測しがたいというのである。それほどに、人が殺し合うのには何か奥深い秘密があるということでもあろう。その秘密を聖書は明らかにしている。特に創世記はアダムとイブの罪に続いて、その息子たちの間に起きた兄弟殺しについて語っている。つまり、人間の罪によって倫理的な秩序が乱れ、人の心に矛盾が生じて、善と悪との葛藤が始まったのである。この矛盾を克服しない限り、真の平和はこの世に訪れることはないであろう。ではその対策は。

「赦(ゆる)す」ということ

Nakasone Masanori ナカソネ・マサノリ
僕は今のところは死刑制度に賛成である(今のところは・・)。しかしこの賛成は、かなりためらいながらの賛成である。

全てのいのちは価値があるという教会の教え

Flynn, Harry フィリン・ハーリ
死が、こんなにも広まり、意図的に選択され、人間の問題を解決するための必死の試みとなっているこの文化においては、暴力に対抗し、犯罪を容赦しないための最良の手段として死刑を奨励することは容易なことです。

死刑は間違いだろうか?

Saunders, William サンダース・ ウィリアム
実際、極刑の是非は非常に難しい問題である。カトリックである私たちは、人のいのちを尊いものだと考えている。同時に、社会を安全で平和な場所として維持するために、遺憾ながら犯罪者のいのちを奪わなければならないこともある。社会秩序を守るために、私たちは戦争に行き、自分のいのちを守り、そして犯罪を抑止する。極刑を巡る問題は重大であり、私たちは、正義を維持するために常にこの問題に向き合っていかなければならない。善良なカトリック信者は、一信者として、また一市民として、これらの問題に対峙し、正義を守るために最善な方法を考えていくべきである。

殺人者を殺しても解決にはならない

Chaput, Charles シャプー・チャールズ
究極的に文化は、それぞれの人間のいのち、特に重荷であるとか、取るに足らないとか、価値がないとか思われるいのちにも価値があって、その道徳的特徴を定義しているのです。

正義にいたる真の道

Chaput, Charles シャプー・チャールズ
死刑は、私たちの文化向かう方向について私たちが抱く他のもっと深い心配を和らげるために飲むもう一つの薬にすぎないのです。処刑は一時的に、症状(神の前では名前とそれ自身のストーリーを持った症状)のいくらかは、取り去るかもしれませんが、その根底にある、人間のいのちを軽視するという今日の病気は残り続け、さらに悪化するのです。

医師として僧侶として

Tanaka Masahiro タナカ マサヒロ
私は寺で医療を行っている。それで全日本仏教会から推薦を受け、ローマ教皇庁医療国際会議に計4回招待された。 そこで仏教の立場を発表するとともに、他宗教の状況を知る機会を得た。この会議では、 毎回異なる重要な医療関連のテーマについて、 広い分野から30名くらいの専門家が講演を行う。実質的には医療に従事するカトリック宗教者の勉強会といえる。 ローマ教皇庁関連の医療機関は世界中に10万8千もある。会議は3日間で、 約80ヵ国から800人くらいが参加している。

死刑の一時停止支持

Lama, Dalai ラマ・ダライ
死刑は予防の機能を果たしていますが、それはまたあきらかに復讐のひとつの形態でもあるのです。死刑は、あまりにも決定的なので、特に厳格な罰の形態です。人間のいのちが終わらせられ、処刑された人は、自分を矯正したり、与えられた損害を修復したり、その償いをしたりする機会を奪われてしまうのです。