研究論文 コラム 説教 カトリック公文書

安楽死ニュース

スピリチュアルケア、ってなあに?
そうこうするうちに、身体障害が進み、母は全くどこも動かせないという極限状態になり、私は母を安楽死させたいと思うようになりました。本人は私がそんなことを真剣に考えているなんて知っていたのか、わかりませんが、「こんな状態では生きていても 辛 いだろうなあ」と誰が見てもそう思えるようになっていました。がんでも末期になってくると、周囲は「死んだほうがマシ」という思いに絡め取られていくのでしょうか。「死を受け入れて穏やかになってほしい」、と私は心からそう思いました。家族だからこそ、その苦痛を見ていられないのです。

亡くなりゆく人たちの恐怖、残される人たちの不安
死別は喪失だけではありません。残された私と家族の間には、共に全身全霊を傾けて過ごした、「時間の感触」が、心の中に確かに残ります。そして、時々私は通りすがりの街角や遺族会で、残された家族と語らい、「時間の感触」を確かめながら、次の新しい死と看取りに向かうのです。よく人から、多くの人の死に立ち会うのは 辛 くないのか、人の死の恐怖に向き合うのはきつい仕事ではないのかと尋ねられます。しかし、この「時間の感触」を通じて、私の心は安らかに満たされているのです。

安易な救命中止、慎重判断求める 集中治療医学会が勧告
患者本人や家族の要望に基づき、心肺が停止しても患者の尊厳のため心肺蘇生をしないこと(DNAR)を事前に取り決めた場合について、医師の一部でDNARが拡大解釈されていると勧告は指摘。心肺停止状態でないのに、本来継続すべき投薬や輸血などの医療行為も安易に中止されている恐れがあるとした。

世界的な安楽死合法化の波に逆らう「真の」緩和ケアを求めて
でも、殺されたような、ひどいケースを聞くにつけ、どうにかしたいとは考えています。安楽死合法化を待たずとも、ALSに限って言えば「緩和ケア」ということで、極めて安楽死に近いことが起きてしまっています。それは、家族が医師を 急 かしてモルヒネを増量させたり、本人が呼吸器をつけようか迷っているのに、意識を混濁させて 看取 ってしまったりというようなことなのですが、死が近づくと不穏になり、ナースコールが頻回で手が掛かりすぎるので、朦朧 とさせておく、ということも聞かれます。ALSにも鎮静が必要なケースがあるということなのでしょうが、ALSの痛みはがん末期とは全く違う痛み。モルヒネを上手に使うことで、亡くなる前夜も外出できる病気でもあります。 *2008年2月号『現代思想』の特集:「医療崩壊−生命をめぐるエコノミー」で、緩和ケアをめぐる誤解を解き、課題を整理したくて、新潟病院副院長で神経内科医の中島孝医師と対談しました。『末期を超えて ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』に収録されています。ご興味のある方はぜひご一読ください。

安楽死? 鎮静死? あなたはどう「生ききりたい」ですか?
患者さんの亡くなるまでのプロセスを見ていると、自然に自分も「死をどのように迎えるか」を考えます。治療の効果と不利益を 天秤 にかけて、治療の「 止 めどき」を考えることの大切さ、最期の場所を考えることの大切さ、限られた時間をどう生きるのかを考えることの大切さ。亡くなるまでに考えた方が良い大切なことをいつも仲間から教えられます。

他のニュース…

安楽死の本

いのちの福音

人工妊娠中絶や安楽死など人間のいのちを軽んじる行為が合法化されようとしている現代社会の中で、神のかたどりである人間のいのちを尊重し、守り、愛することの大切さを、聖書や教会の伝統的な倫理観に基づいて訴えています。
[カトリック中央協議会出版部]

読んでください

「痴呆症とお彼岸介護」老いる苦しみ

Tanaka Masahiro タナカ マサヒロ
前回紹介した物語『河童』の主人公は痴呆症だった。痴呆症、それは高齢化が進んだ現代、年老いての主な苦しみの代表だ。四門出遊伝説によると、お釈迦様 は東の門から出ていって一人の老人に遇った。その老人は老衰のあらゆるさまをあらわし、脈絡はふくれ、歯はかけ、 皺だらけで、杖をついてよろめき、手足がふるえていた。当時は、まだ痴呆症は主要な老苦でなかったようだ。

目に見えないトレンド:状況が生命の質を決める

Novotny, Jerry (OMI) ノボトニー・ジェリー
死の文化となれば、法律は手段を選ばないだろう。法律では、胎児、末期患者、 高齢者などが使い捨ての物体として扱われている。そんな法律の下では、状況によって生命の質、 生きて愛情あるケアを受ける価値のある人、あるいはその価値がない人が決められる。最近では、ケーシー・ ケイスンの問題に関わる騒乱と混乱がある。裁判所は食事と水を与え、終末期のケアを行うことと「生命維持」 との違いについて国民に間違った考えを信じ込ませている。これでも控えめに言っているのだから、恐ろしいことである。

延命は必ず必要なのか?

Novotny, Jerry (OMI) ノボトニー・ジェリー
延命は必ず必要なのか?答えは、はっきり言うと「ノー」である。「蘇生禁止」命令が認められる時代が来るかもしれない 。手術をやめて人工呼吸器を取り外す、あるいは治療の中止が医学的に適切とされる時代が来るかもしれない。

ベルギーの安楽死法は悪魔の囁き?

Editorial オピニオン
ブリュッセルのベルギー議会(下院)で13日、18歳未満の未成年者への安楽死を認める法案が賛成86票、反対44票 、棄権12票で採択された。同国上院は昨年11月、既に採択済みだ。フィリップ国王の署名を受けてから成立する。

「命への奉仕者に」教皇とカトリック医師らとの出会い

Vatican Radio broadcasts バチカン放送局
堕胎によって生まれない子どもたち、病気や高齢の人々の顔には、イエス・キリストの顔が刻まれていると述べた教皇は、 命を大切にしない「切捨ての文化」への警告を発せられた。

教皇ベネディクト十六世の347回目の一般謁見演説

Documents,Official ドキュメント,公文書
ご存じのとおり、わたしは(拍手)――皆様の同情に感謝します―― 主が2005年4月19日にわたしにゆだねた奉仕職を辞任することを決断しました。わたしはこの決断を教会の善益のために完全な自由をもって行いました。それは長期にわたる祈りと、神のみ前での良心の糾明を経てのことでした。わたしはこの行為が重大なものであることをよく分かっていましたが、 必要な力をもってペトロの奉仕職を果たすことができないことも同じく自覚したからです。教会はキリストの教会です。だからキリストは教会がご自分の指導と配慮を欠くことを許しません。 わたしはこの確信に支えられ、照らされています。皆様がこれまで愛と祈 りをもってわたしに同伴してくださったことを感謝します。ありがとうございます。 この数日間はわたしにとって容易なものではありませんでしたが、わたしは ほとんどからだでも、祈りの力を感じました。この力は、教会への愛と、 皆様の祈りがわたしにもたらしてくれたものです。わたしのため、教会のため、次の教皇のために、引き続きお祈りください。主がわたしたちを導いてくださいます。

平和を実現する人々は幸いである

Documents,Official ドキュメント,公文書
4 共通善と平和を実現するための道は、何よりもまず、人間のいのちを尊重することです。ここで人間のいのちを、 受精から始まり、成長を経て、自然死に至るまでの、さまざまな次元を含めた意味で考えなければなりません。それゆえ、 真の意味で平和を実現する人は、あらゆる次元で――すなわち、個人的、共同体的、超越的な次元を含めた―― 人間のいのちを愛し、守り、推進する人です。完全ないのちは、平和の頂点です。平和を望む人は、 いのちへの危害や犯罪を容認することができません。 
人間のいのちの価値を十分に重んじず、その結果、たとえば人工妊娠中絶の自由化を支持する人は、このことを通して、 偽りの平和を追求することになることに気づかないかもしれません。人間の人格をおとしめることになる責任回避や、 さらには無防備で罪のない存在を殺害することは、決して幸福も平和ももたらしえません。実際、 出生前の生命をはじめとするもっとも弱い者の生存権を守らずに、平和や、諸民族の完全な発展や、 環境保護を実現することをどうして考えられるでしょうか。いのち、それもとくに初期のいのちを侵害することは、 発展と平和と環境に対して修復不能な損害を与えます。欺瞞的なしかたで、 偽りの権利ないし自由を法制化することも不正です。矮小化された、相対主義的な人間観と、 あいまいな表現の巧妙な使用に基づいて、人工妊娠中絶や安楽死を行う権利の主張を推進しようとするこのような法制化は 、根本的な生存権を脅かすからです。

終末期医療

Suzuki, Atsushi スズキ・アツシ
私たちは、生まれた瞬間から死を約束されている。生まれた瞬間から死刑宣告を受け、その執行を待っているようなものであるが、実際の死刑囚と違うのは、私たちはその事実から常に目をそむけ、死をタブー視していることある。

自殺防止にはキリスト教が一番

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
東日本大震災はあまりにも衝撃的であった。日本人がひたすら信じてきた「成長神話」も、それを支えてきた科学技術も、自然の猛威の前に無力を証明してしまった。この惨事を目のあたりにして、山積していた日本の課題が忘れ去られてしまった。

カレン裁判

Suzuki, Atsushi スズキ・アツシ
カレン事件とはアメリカで尊厳死をめぐって争われた裁判である。カレン・アン・クインラン嬢(21)は友人のパーティーで酒を飲んだあと精神安定剤を服用して昏睡状態におちいった。意識は消失したまま呼吸が停止し、人工呼吸器につながれ、チューブで流動食を送り込み、カレンの生命はかろうじて保たれていた。3ケ月後、両親は「機械の力で惨めに生かされるより、おごそかに死なせてやりたい」と主張したが、医師団が反対したため裁判になった。

障害の重荷をともに担える日をめざして

Documents,Official ドキュメント,公文書
日本カトリック司教団は、一九八〇年十二月八日に、国連の「国際障害者年」を迎えるにあたってアピールを出しました。その中で、障害のない人中心の社会は正常ではないという国連の考えに賛成し、これを強調しました。今回、わたしたちは、障害のある人を中心にした視点に立って、人間の生きる意味をあらためて考え、教会や社会のあり方をよりよいものにすることを願って、この文書をまとめました。さまざまな障害のある人々とともに、さまざまな障害のある人々に真剣にそして誠実にかかわろうとする努力が、日本の社会の善意あるすべての人の良心にこだましていくならば、これに勝る喜びはありません。

心身障者安楽死事件(昭和42年)

Suzuki, Atsushi スズキ・アツシ
昭和42年8月2日、生まれてから27年間寝たきりの重症心身障者である息子を医師である父親が思いあまってエーテルをかがして絞殺する事件が起きた。東京都千代田区に住む開業医・森川宗男は結婚してすぐに子どもが生まれたが、息子の達夫さんは脳水腫症で手足を動かすことができず精神薄弱で寝たきりの状態であった。母親は下の世話から食事の世話まで27年間つきっきりの介護を行い、自分の時間のない生活を送っていた。

安楽死と過剰な医療

Saunders, William サンダース・ ウィリアム
ヒュー・フィンの栄養管が外された事件は、世間の大きな関心を集めました。永続的な植物状態にある患者に対して必要な通常の医療および過剰な医療について教会の見解をお聞かせください。また、経済力、医療費、年齢など、家庭の事情はこの問題にどのような影響を与えるのでしょうか?

全て実弾

Valko, Nancy ヴァルコ・ナンシー
実際的な問題は患者の選択だけだという言い訳は、家に帰って自分が他の人間を殺すのに手を貸した、あるいは私たちの誰かが合法的にその行為に関わっている間自分は何もできずに黙っているしかなかったという事実に直面しなければならない私たち医者や看護婦にとっては全く慰めにならないのです。そうなれば、私たちにとって、あるいは社会にとって、いつも実弾となるのです

目覚め:昏睡患者が回復することもある

Valko, Nancy ヴァルコ・ナンシー
多くの昏睡患者を診ているロングアイランドの神経外科医のミハイ・ディマンセスク医師は、たとえ何週間も昏睡状態が続いても、脳に何らかの損傷を受けた人々が回復する可能性が実際にあるという認識が高まっていることに注目しています。たくさんの病院、とくに大学病院や地域の大病院は、治療の最初の段階において積極的に取り組んでいます。

自殺について

Shimazaki, Hiroki シマザキ・ヒロキ
自殺に関する考え方も、公会議前と公会議後では大きく変わった点の一つです。公会議前は、教会法によって、教会での葬儀は認められていませんでした。それは、自殺した人が、「大罪のまま死んで、地獄に行ったので祈ってもしょうがない」、という考え方からだったのでしょう。

鎮静治療を終末医療と考えるべきか?

Valko, Nancy ヴァルコ・ナンシー
無意識のうちに死ぬことで苦しみから逃れることは、末期状態の患者だけでなく、衰弱した高齢者、身体障害者、慢性疾患患者などにとっても大きな魅力である。私たちがどんなに努力しても、一部の患者、その家族、時には医療従事者までもが死期を早める権利を主張することがある。そのようなときも、自殺幇助や安楽死の場合と同じように、「拒否」の態度を取ることが唯一最良の答えであるべきだと思う。

他の…