産まない産めない@D生保護法と戦後(中)女性と障害者、せめぎ合った権利

西日本新聞
2018-10-03

個人の尊厳や平等を定めた憲法下で、強制不妊手術など障害者の「産めない」を正当化した優生保護法が、1996年まで48年間も続いたのはなぜか。

背景には、「女性」と「障害者」という二つの人権のせめぎ合いがあった。

法の目的だった戦後の人口過剰問題は、10年足らずで終息した。人工妊娠中絶は年間100万件を超え、48年に4・32だった合計特殊出生率が2・0前後まで落ち込むと、今度は経済成長に乗り遅れぬよう、労働力不足が叫ばれた。

72年、政府は改正法案を国会に提出する。狙いは二つあった。

まず中絶要件の一つ、「経済的理由」の削除を求めた。中絶の大半は、多産のため産みたくないといった健常者で、「経済的理由」を拡大解釈して適用されたものだった。女性の「産まない」権利はこれによって保障されていたといえる。

もう一つは、胎児に障害があれば中絶を認める「胎児条項」の新設。国内では68年から妊婦の羊水検査が可能になり、胎児に一部の障害があるかどうか分かるようになっていた。同法は障害者から「産む」権利だけでなく、「生まれる」権利まで奪おうとしていた。

全文は下記

http://news.livedoor.com/article/detail/15369912/

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