非核叫ぶ友の分まで 長崎原爆の日 石川県の語り部松林フミ子さん(84)

西日本新聞
2017-08-12

長崎は9日、72回目の原爆の日を迎えた。7月に採択された初の核兵器禁止条約は、前文に「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と刻んだ。無残に死んでいった犠牲者。後遺症に今も苦しむ人。つらい体験にさいなまれ故郷を離れた人。一方で厳しさを増す国際情勢と、条約を否定する政府。それでも被爆者は、若者は、ナガサキに集い声を上げた。「あの日」ではなく「核のない日」を迎えるために。

「あなたのせいでうちの子は死んだ」。石川県在住の被爆者、松林フミ子さん(84)=長崎市出身=は9日、平和祈念式典を終えると午後早く、故郷を離れた。戦後72年、石川に移り住んで60年以上がたった。それでも被爆して亡くなった友人の親から投げ掛けられたひと言は、今も頭を離れない。心の中で返す言葉は「一人だけ生き残ってごめん」。今年も友人の墓参りは、かなわなかった。

1945年8月9日朝。女学校1年で12歳だった松林さんは、長崎市の丘の上にある寄宿舎で共同生活をしていた友人2人に「母が入院している病院に見舞いに行かん?」と誘った。食料不足でいつも空腹。見舞品の卵やカステラの一口でももらえないかと期待した。

全文は下記

http://news.livedoor.com/article/detail/13454515/

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